都立九段高等学校柔道部還暦OB会

個人名併記集合写真のページ

スライドショーで判別できなかった懐かしい顔の特定にご活用のほど。                           BGM : snow-spaces 
上図 なかにし礼著 ↑「翔べ!わが想いよ」文庫版の表紙          柔道レリーフプレート贈呈

なかにし礼さん(高9卒中西禮三先輩)が「長崎ぶらぶら節」で第122回直木賞を受賞したことを機に、卒業年度が重なる近しいOBの方々が中心に集まって(前頁集合写真参照)、記念の柔道レリーフプレート(絵柄は内股らしい)をプレゼントしお祝いした。1989年11月東京新聞出版局からそれまでに「この道」として78回に渡り新聞に連載された自伝が「翔べ!わが想いよ」という題名に改題して出版されている。九段柔道部での体験が、登場する先輩方の実名入りで記述されているので興味のある方、未読の方にはお勧め!古本になるがまだ文春文庫版と新潮文庫版がアマゾンのサイトから購入可能。新刊書店やオフィシャルサイトからは購入できない。
👍なかにし礼オフィシャルサイトへ👏

柔道部の話の部分をちょっとだけご紹介 ----- 翔べ! わが想いよ から  月下の一群 ----- より

 柔道部にはこわーい指導者がいた。九段高校を卒業して二年。柔道三段で、でっぷりと太った佐藤守弘という先輩であった。オーソン・ウエルズのような顔をしていた。青春時代とは己の精神と肉体の限界に挑戦することである、が佐藤先輩の哲学であった。だから、しごくことしごくこと。血も涙もない鬼将軍のようであった。われわれ部員は柔道をやっているというより、柔道着を着て、体力テストをやっているようなもんだった。マラソン皇居一周三十分以内。一分でも遅刻するとまた走らされる。靖国神社の石畳の上でうさぎ跳び、腕立て伏せ、腹筋運動。悲鳴をあげ、男泣きに泣きながらの稽古であった。
 入部して早々に紅白試合があり、私は小林さんという三年生に跳ね越しで投げられたのだが、受け身を取らず、一本にはならなかったのだが、その時、ボキッと音がして、私の左の鎖骨が折れた。が、佐藤先輩はそのまま試合を続けさせた。激痛にボーッとしながら、右腕だけで試合を続け、私は勿論負けた。そして三ヶ月間病院通いとなったが、柔道部を止めようという気にはならなかった。中山さん、武田さん、嬉しい仲間。そして笑うと白い歯がきれいな佐藤先輩も、稽古を離れるとやさしい兄貴であった。 
 夏休みになると合宿をする〜   の続き(ここからがクライマックス!)は本を買って読んでください。OBにはお馴染みストームの話も出てきます。